アダルトチルドレン卒業(を目指す)日記

親が毒親なことをなんとなく察していた22歳大学生(アダルトチルドレンと近頃気づいた)が幼少期からの記憶を整理していく日記。

#2 幼少期2

#0でも書いたが、私の親は教育ごとにお金を出してくれる。

そのおかげで私と姉は幼少期から英会話教室に通っていた。

特急で数駅電車に乗り、駅を降りてからさらに10分ほど歩いたところにその英会話教室はあった。

なので、小学生と幼児だけで通えるわけもなく、母が一緒に連れて行って連れて帰ってくれていた。

姉と2階で震える話

ある土曜日のことである。

毎週のように通っていた英会話教室の帰り。

普段は夕方の17時くらいに地元の駅に着くのだが、その日は疲れていたのか、3人とも電車の中で眠ってしまった。目覚めたときには、最寄り駅のドアが閉まる瞬間であった。

乗り過ごしが決まった。

次の駅で降りて、Uターンして、最寄り駅で降りる。急ぎ足で家へと急ぐ。

門を開け、玄関にカギをさし、静かに開く。

私と姉は急いで2階へと駆け上り、母は音をたてないようにリビングへと向かった。

姉と一緒に自分たちの部屋へ入りドアを締め、布団をかぶった瞬間に響き渡る父の怒鳴り声。何かを投げつける音。

私たちは布団の中で小さく縮こまり、時が過ぎるのを待つしかなかった。耳をふさぎながら姉と手を強くつなぎ、震えていた。

父は時間通りに帰ってこなかったことにぶちぎれたのであった。電車を一駅乗り過ごしたことにぶちぎれたのであった。

体感時間は1時間くらいだっただろうか、父がリビングのドアをたたきつけるように締め、階段を踏み鳴らしながら登ってくる。

私はこの瞬間が最も怖かった。階段を上り切って最初にある部屋にいたから、ドアを開けて父が怒鳴りつけて、ものを投げるのではないかという恐怖で気が気じゃなかった。

いつ母の姿が自分になるかわからなかった。ただそれにおびえていた。

幸い父は部屋に入ってこず、自分の部屋に入りたたきつけるようにドアを閉める。

その音に震えてから、私と姉は少しほっとして布団から出て、少しこしょこしょと話をしてから音をたてないようにそっとリビングへ降りるのであった。

 

散らかったリビングに戻っても母からは何も説明はされない。何も聞いてはならない。

何事もなかったかのように過ごす。いつも通りの散らかったリビングで夕ご飯を食べ、テレビを見る。それだけ。

そのあと父がリビングに下りてきて、少しびくっとする。

しかし父はいつも通りに戻っている。何事もなかったかのように私たちにお帰りといい、少し雑談をして、一緒にテレビを見る。

怒鳴っていたことは聞けない。言及してはいけない。おびえてはいけない。説明はもちろんされない。

それが当たり前だった。

 

ー ー ー

 

あらためてこの家こわい。父どんだけ簡単にキレるんだよ繊細かよ。

自分の感情くらい自分でコントロールしてほしいもんである。

そして一方的なコミュニケーション(物理)は控えてほしいもんである。

父はいつだってやべぇやつであった。

 

書き出してみて改めて思ったのが、これ初めての記憶じゃない、ということだった。衝撃。

姉と布団まで逃げるのがスムーズすぎるのだ。まるでよくあることであるように。何度も経験したことがあるかのように。

実際何度も経験したことがあるんだと思う。父は激情型のいらちであった。

ささやかなことでまさにぷちっといくタイプであった。

なにが逆鱗なのかもわからない。

よく母は暴力と暴言を受けていたのだと思う。

この時じゃない記憶で、父が母に向かってテレビのリモコンをたたきつけたシーンが頭に残っている。(幸いリモコンは母には当たらず床に当たりはじけとんだ。)

 

この繰り返される母の姿は「いつかの私」という恐怖を私に抱かせた。

いつもは優しく見える父。何かの拍子に父をキレさせ、ひどい扱いを受ける母。そして何事もなかったかのように戻る家族。

父は私にだって優しかった。私がする言動でいつ父がキレるかもわからなかった。父からの暴力や怒鳴り声が、いつ私に向くのか、優しい時も不機嫌な時もずっとおびえていた。

見えもしない空気を読まなければならないと幼いながらに気を遣っていた。

疑問を抱くような真似はしてはならない。何にも気づかない、おかしいと思わない、愛想を振りまく従順でばかなぴえろでいることが、生きるためのすべだった。

ぽぽんと生まれてきたら親がこんなんで運命とか偶然とかめちゃくちゃ呪いました。

 

幼少期のこんな感じの経験と記憶が、ほんとうに今の私の人間不信の大半を形成している。

調子がよくないとき、少し自尊心が減っているとき、誰も信用できなくなる。

よく悪口をいう友達に対しても同じ恐怖心を抱いてしまうことがある。

悪口を言われている子は母と同じでいつかの私なのだ。

最新の注意を払って空気を読み、ご機嫌を取り、笑われる存在でなければならない。気に入られなければならない。

友達は別に私の命や衣食住を握っているわけでもないのに、父が握っていた名残で同じように恐れてしまうのだ。

大切な人や距離感が近い人ほど、この恐怖心を抱きやすくなる。

親しい人もたまに過激派で、侮蔑しているような言葉を言うときがある。

そんな時私は同じように恐れてしまい、胸がひどくきしむのだ。